2024.04.15校長日記
市川学園 創立のころ ~創立記念日によせて(24.04.15)
本日、4月15日 本校は87回目の創立記念日を迎えました。
創立者古賀米吉先生は、創立当時をふり返り次のような文章を残しています。
市川中学校創立のころ
市川中学校がはじまったのは昭和十二年、日華事変が起こった年で、市川が市制をしいて三年目、今から満二十二年前のことである。そのころ、今の環状バス線の古八幡停留所あたりからさきは、数えるほどの人家しかなく、のちに中学校通りといわれた道も、六尺そこそこの作道で、両がわは水田や桃畑や梨畑であった。
(中 略)
創立当時生徒の大部分は東京から来たが、路傍の畑を見て、「これがナスの木か」と珍らしがるような生徒が多かった。創立三年目、農場を経営して野菜や草木を生徒に作らせた。場所は今富貴島小学校のあるところで、花の春や実りの秋には、現地で母の会を兼ねて畑のものを即売したりした。
昭和34 (1964) 年 10月 「市川の思い出」(原文のまま)
旧制市川中学校は開校初年度の入学者32名の厳しいスタートでしたが、夜間部の設置や他校との合併など様々な施策を講じ6年後には在籍者数が千名を超えるまでになりました。その後の戦中・戦後の混乱期を乗りこえ、今日に至っています。
さて、古賀米吉先生は1891年、福岡県で誕生。恵まれない家庭環境で育ち中学卒業後(当時の中学は現在の高校相当)、故郷で代用教師を勤めながら福岡師範学校(現 福岡教育大学)を卒業。
その後 東京に移住し、小学校教師の職を続けながら受験勉強に励み、29歳で東京外国語学校(現 東京外国語大学 英語専攻)に進学。卒業後は、府立四中(現 都立戸山高校)に着任。その後も英語教師を勤めながら、東京帝国大学 文学部に入学。1930年、40歳で東大を卒業されました。
さらに、1931年から2年間にわたり、欧米に留学。英国で視察したイートン・カレッジの教育に感銘を受けて帰国し、1937年に市川中学校を創立しました。
体ひとつで福岡から上京した「いち教師」が、実力と情熱をもって人びととの知遇を得、市川学園を創立。前述の通り、創立当初は苦難の連続で学園経営はいばらの道でした。
そんな中にあっても「変わらぬ執念」で切り拓いた道が今日につながっています。
まさに学びと教育に生涯をささげた、筋金入りの第三教育の実践者です。